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最高裁判所第三小法廷 平成3年(あ)457号 決定 1994年7月26日

本店所在地

岡山県倉敷市東富井八二三番地の一

株式会社

藤商

右代表者代表取締役

藤川武正

本籍・住居

岡山県倉敷市酒津二八二七番地

会社役員

藤川武正

昭和三年一一月二八日生

右株式会社藤商に対する法人税法違反、藤川武正に対する法人税法違反、所得税法違反各被告事件について、平成三年三月一三日広島高等裁判所岡山支部が言い渡した判決に対し、被告人両名から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人両名の弁護人岡本貴夫の上告趣意は、憲法三一条、三八条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

平成三年(あ)第四五七号

○ 上告趣意書

法人税法違反 被告人 株式会社 藤商

所得税法違反 被告人 藤川武正

右の者に対する頭書被告事件について、上告趣意を次のとおり述べる。

平成三年七月二日

右代理人弁護士 岡本貴夫

最高裁判所第三小法廷 御中

構成

はじめに

第一 原判決の骨子

第二 原判決は、信用性につき疑いのある被告人らの捜査官に対する供述調書及び共犯者の供述を事実認定の主要な証拠として採用し、刑事訴訟法第三一九条に違反した結果、憲法三八条に違反している。

第三 原判決には刑法第三八条一項の解釈適用に誤りがある法令違反がある。

第四 原判決には、刑事訴訟法三一二条・憲法三一条三八条の解釈適用に誤りがある法令違反・憲法違反がある。

はじめに

本件の法律上の論点は、第一審判決の証拠の採用が違法である上、事実認定が不当であり、刑事訴訟法三一九条・憲法三八条に違反し、被告人の故意について刑事第三八条一項の解釈適用に誤りをなし、その判示中に択一的認定があり、刑法訴訟法三一二条・憲法三一条三八条違反をなしたということである。

まず、原審判決の骨子を述べ、詳細に反論したい。

第一 原審判決の骨子

一 原審判決は、被告人会社に対する法人税法違反事件に対して、以下のとおりの判断を下している。

第一審判決は原判示第一の各事実において、被告人会社藤商は、昭和六二年有限会社藤商を組織変更したものであるが(以下右の組織変更の前後を通じて「被告人会社」という)、被告人会社の代表取締役としてその業務全般を統括していた被告人藤川武正(以下「被告人」という)が被告人会社の業務に関していた昭和五六年から翌五七年四月まで及び同年五月から翌五八年四月までの各事業年度分の法人税についての増勢被告人・支払手数料及び債権償却特別勘定などの架空計上や雑収入の圧縮などの所得秘匿工作を伴う虚偽不申告逋脱犯の成立を認めている。

二 被告人に対する公訴事実に対して、控訴審において以下の二点の主張が弁護人からなされた。

(一) 被告人藤川は、昭和五六年一一月から昭和五八年三月まで、被告人会社の運営を山田恵章に一任していて、原判決のいう所得秘匿工作は同人がしたもので、また、同人が作成した被告人会社の帳簿の正確性には疑問があるから、右帳簿に基づいて算出された所得金額にも疑問がある(主張(1)とする)。

(二) 原判決は、現実の支出と一致しない領収証がある出費は架空に計上された経費であると認定し、経費として収入から控除することを認めていないが、被告人会社は、地域住民の同意を得るために必要な経費・領収証の取れない業者への支払などについて、他の業者の領収証を使用したのであって、いずれも右領収証に相当する金額の支出を実際にしていて、被告人には不正行為の認識がない(主張(2)とする)。

三 右(1)の主張に対しては、関係証拠とりわけ被告人、山田恵章及び武田富美子の捜査官に対する各供述調書(質問顛末書を含む。以下同じ)並びに山田恵章の原審証言によれば、以下の事実が認められるとする。

被告人藤川は、昭和五一・二年ころから不動産売買に関与するようになり、昭和五四年に被告人会社を設立した。山田恵章は、昭和五六年一一月被告人会社に入社し、以後、被告人会社は資金面を被告人が、営業面を山田が担当していた。被告人会社はそのとき以降、土地を購入し、これを宅地に造成し、販売する仕事をするようになり、その際山田恵章に物件毎に仕入れ、造成費・減歩・売上見込額の計画書を作成させ、これを被告人が承認すると、山田が買収にかかり、被告人がその取引の成立を了承すると資金の手当てをするという手順で仕事をしていた。このような処理方法は昭和五八年に山田恵章が退社するまで続いていた。

その昭和五六年から五八年にかけて造成費・支払手数料などの架空計上、雑収入の圧縮などの所得秘匿工作については、被告人や山田恵章の指示により被告人会社の事務員武田富美子が帳簿に記入していた。

被告人会社は山田恵章に対し、「こんなに利益を出してはいけん。どこかで領収証をもらってこい」などと指示をして、被告人自身も白紙の領収証を集め、武田富美子に渡して、これに虚偽の記載をして被告人会社の経費として計上させたり、被告人藤川の個人的な費用を被告人会社の経費として計上させたりしていた。

被告人会社の帳簿は、これらの所得秘匿工作による虚偽の記載が含まれていたが、厳正な秘匿査察により、右帳簿の記載を修正して算出された結果に疑問を抱く余地はないことが認められる。

この事実認定から、山田恵章が勝手に所得秘匿工作をしたものではないし税務査察により被告人会社の帳簿の記載を修正した上、算出された所得金額に特段の疑問はない、と判示した。

四 右(2)の主張については、二の場合の主張と同様、関係各証拠を取られない裏金として渡す金など領収証をとることができないものであり原判決認定の所得秘匿工作とされる造成費その他の経費の架空計上の中には、右のような領収証をとれない出費について内容虚偽の領収証を充当したものも含まれていることがうかがえないではない。

しかし、そのようなものでも、被告人会社の帳簿に記載された経費が架空虚偽の内容のものであることは変わりなく、法人税の申告にあたり裏付がなく経費として計上できない出費は、経費として認めることはできないのであるから、右のような出費に内容虚偽の領収証を充当して計上したような場合でも、架空経費の計上による所得秘匿工作に当たると考えられ、右のような出費に内容虚偽の領収証を充当したことを認識している以上、被告人藤川の不正行為の認識にも欠けるところがないと認められる。

(仮に錯誤が認める趣旨である場合の処理が誤っていることについては後述する。)

五 次に第一審判示第二(所得税法違反)について、控訴審において弁護人は以下の三点の主張をした。

(一) 被告人は、危ない債務者については、受領した貸金の利息の合計額が元本を越えてはじめて所得となると考えていたので、被告人には納税義務の認識がない。(原判決においては、債務者について無限定に扱っているが、控訴趣意を普通に読めば、債務の弁済に不安がある債務者について弁護人が主張している趣旨は読み取れる筈である。)(主張(3)とする)

(二) 被告人の得意先は少数であって、帳簿を付ける必要がなく、架空名義の預金はいずれも岡山県商工信用組合(現在は岡山県信用組合と名称変更)倉敷支店に開設されていて、容易に被告人の預金であると判明するものであり、かつ、被告人の知らない間に開設されているから被告人に不正行為の認識はない(主張(4)とする。)

(三) また、個々の貸付先について見ても、<1>株式会社真水に対する貸付については、被告人は真水から現金で利息を受領しておらず、従って被告人が真水から現金で支払をうけたとされる二三六万円の支払いを受けていない、<2>株式会社中田工務店に対する貸付については、被告人が吉原勝巳及び森寺章勝各名義の普通預金口座(岡山県商工信用組合倉敷支店)を取立口座として中田工務店から受け取ったとされる合計四〇五万九九〇〇円は、被告人が知らない他人名義を利用した取引によるものであって、岡山県商工信用組合倉敷支店長林光市が被告人の前記組合に対する取引枠り利用して中田工務店岡山営業所所長吉岡一雄に融資し、林光市が吉岡からその利益として受領したものであり、被告人はこれを受け取っていない(主張(5)とする)。

以上の主張に対して、原判決は、刑事訴訟法三一九条憲法三一条三八条に違反する以下の判断を下した。

六 (一)の主張(主張(3))について

被告人は、捜査段階から一貫して貸金は元本を回収してはじめて利益ができるなどと(一)の所論に沿うような供述をしているが、貸金に対するものを含めて利息収入がそれ自体所得になることは、税法上当然なこととされているばかりか、社会常識からいっても当たり前のことであり、被告人が前述の供述のように思っていたとは到底考えられない。

のみならず、関係各証拠とりわけ、被告人及び三好敏之の検察官に対する各供述調書、山田英吉の大蔵事務官に対する質問顛末書並びに大蔵事務官作成の収入金額調査書によれば、以下の<1>・<2>・<3>の判決が認められる。

<1> 被告人は昭和五〇年ころから養豚業者についで不動産業者に金を貸すようになり、昭和五三年には貸金業者の届出をし、以来貸金業を営んでいて、本件で虚偽不申告逋脱犯を犯したとされる昭和五六年・五七年・五八年だけでも貸金が元利とも完済されている貸付先が若干あり、その言分によっても貸金による所得がかなりあるのに(例えば、佐守印刷は被告人に対し、昭和五六年に利息を八四万円、昭和五七年に利息を三五万円支払った上、同年元金二〇〇万円を完済している)、昭和五九年に本件について国税当局の捜査を受けるまで、前記の昭和五六年、五七年、五八年分を含めて貸金による所得の申告をしていない。

<2> 昭和五七年からの税務調査によって株式会社中田工務店に対する貸付が発覚し、被告人は昭和五八年四月右の貸付による利益を被告人会社の所得(税務対策上被告人会社の所得とするより有利であるため)として昭和五五年五月から昭和五六年四月まで、及び同年五月から昭和五七年四月までの各事業年度分について修正申告をしているが、当時中田工務店に対する貸金の回収はできておらず、被告人会社の前記の言分が通用しないことを了知しながら、その後も貸金による所得についてなんら申告していないことが認められる。

<3> 後に説示するように、被告人は税の逋脱に利用する意図で、貸金の利息や回収した元本を仮名借名の口座に入金しているが、納税義務がないと考えていたのなら、そのようなことをする必要はないはずである。

以上の<1>~<3>に徴して被告人が当時貸金による所得について、納税義務の認識があったことが明らかであるとした。

七 (二)の主張(主張(4))について

原判決は、関係証拠とりわけ被告人の捜査官に対する各供述調書・大蔵事務官作成の収入金額調査書によって以下の事実を認定した。

被告人は、貸金業を営むにあたって帳簿をまったく作成せず、また返済を受けた貸金や支払いを受けた利息を岡山県商工信用組合倉敷支店に開設された約一〇口(被告人が関知しているかどうか争いのある吉原・森寺名義を除く)の仮名借名口座に入金していたことが認められる。

このような行為は、いずれも国税当局による税務調査を困難にするものであって、客観的に見て、虚偽不申告逋脱犯成立の要件である所得秘匿工作に当たることが明らかである。

仮名借名口座を貸金に利用することが所得秘匿の意図があることは被告人は控訴段階で認め、第一審・原審でも争っていない。

貸金関係の帳簿を作成しなかったことについて、被告人は、貸付先が五年間で約二〇名にすぎないので帳簿を付ける必要がなかったと原審公判で述べた。

しかし、原審は、貸金業を営む以上、貸付先が比較的少数であっても、帳簿を作成することは、貸金の管理を正確かつ適切に行うために有益である上、被告人が仮名借名の口座の利用という貸金による所得の秘匿工作をしていることを併せ考えると(この秘匿工作が果たして所得税秘匿のためと限定しうるかどうかについては既に述べた)、帳簿を作成しなかった理由は、その必要性をあまり感じなかったことと、所得秘匿工作のめたの両方であるという被告人の捜査段階の供述(検察官に対する各供述調書)は、充分信用できる。

さらに続けて、右検面調書の信用性を弾劾した弁護人の主張「被告人藤川が、捜査段階において所得税脱税の事実を認めたのは、一部心当たりがあった上、帳簿を作成していなかったので、融資先の帳簿に基づく捜査官の言分に反論できる証拠がなかったためであって、融資先の帳簿はずさんなものであるから、原判示の所得税法違反の事実を認めることはできない」という主張に対して、原判決は、被告人の取引先の帳簿がずさんである旨の証拠はないとしている。

八 (三)の主張(主張(5))について

<1>について

被告人は株式会社真水から現金で利息を受領したことはないと主張するが、真水の代表取締役である間野和夫の原審証言によれば、真水の被告人に対する利息の支払いは通常小切手でなされていたが、時には現金によることもあったことが認められ、右規定に反する証拠はないとする。

また、ここでも、被告人の調書を証拠として採用している。

<2>について

ここでも関係証拠は被告人の第一審及び原審における各供述、中田幸雄の第一審証言並びに被告人・中田幸雄・林幸市の大蔵事務官に対する各質問顛末書により事実を認定して、弁護人主張を排斥している。

第二 原判決は、信用性につき疑いのある被告人らの捜査官に対する供述調書及び共犯者を事実認定の主要な証拠として採用し、刑事訴訟法第三一九条に違反した結果、憲法三八条に違反している。

一 被告人会社に対する公訴事実について

被告人は、被告人会社の運営を昭和五六年一一月より昭和五八年三月まで約一年四ヶ月山田恵章に一任していた。

その間、山田は約三五〇〇万円の手数料を得ている旨証言している(同証人昭和六三年七月一八日付速記録九丁)。

同人の証言からすれば、比較会社粗利一億円のうち約三五〇〇万円を山田が得ていることになる。

山田は、被告人会社の名で取引をなし、自己が手数料を取得していたものであるが、昭和五八年初め、被告人会社の利益を自己の個人の利益としていたことが発覚し、その後は同人が被告人会社の取引に関係することがなくなったものである。

被告人会社は、山田が関与している間に利益を上げ、同人が関与しなくなったら利益を上げなくなったものである。山田の被告人会社における力の大きさが推測されよう。

山田の被告人会社の正確な帳簿を作成していないことから会計帳簿の正確性については多大な疑念が残るのである。

これに対して、原判決は、関係証拠とりわけ被告人藤川、山田恵章及び武田富美子の捜査官に対する各供述調書(質問顛末書を含む。以下同じ)並びに山田恵章の原審証言によれば、被告人藤川は昭和五一・五二年ころから不動売買に関与するようになり、昭和五四年被告人会社を設立したが、山田恵章は昭和五六年一一月被告人会社に入社し以後被告人会社は資金面を被告人藤川が、営業面を山田恵章が担当して、土地を購入し、その際、物件毎に仕入・造成費・減歩・売上見込額の計画書を作成させ、これを被告人藤川が承認すると、山田恵章が買収にかかり、被告人藤川がその取引の成立を了承すると資金の手当をするという手順で仕事をしていて、このような処理方法は昭和五八年三月山田恵章が退社するまで続いていたこと、その間、造成費・支払手数料などの架空計上、雑収入の圧縮などの所得秘匿工作については、被告人藤川や山田恵章の指示により被告人会社の事務員武田富美子が帳簿に記入するなどしていたが、被告人藤川は山田恵章に対し、「こんなに利益をだしてはいけん。どこかで領収証をもらってこい」などと指示していて、被告人藤川自身も白紙の領収証を集め、武田富美子に渡して、これに虚偽の記載をして被告人会社の経費として計上させたり、被告人藤川の個人的な費用を被告人会社の経費として計上させていたこと、被告人会社の帳簿は、これらの所得秘匿工作による虚偽の記載が含まれていたが、厳正な税務査察により右の帳簿の記載を修正して算出された結果には疑問を抱く余地がないことが認められる」としている。

しかし、いわゆる共犯者の自白である山田・武田の自白をそこまで信用してよいか一般的に疑問である。

福島裕「共犯者の供述(共犯者の自白)の証明力」判例タイムズ七三三号二一頁以下によれば、「共犯者の供述について注意を要するのは、このように単独犯行を共同犯行と偽り、あるいは真の共犯者に替え、他人を共犯者となざして虚偽の供述をするような場合に限らない。被告人が共犯者であることは動かし難い事案においても、共犯者が自己の責任の軽減を願うなどの様々な動機から、被告人の共犯関与の態様・程度ないし情状にわたる事情等について、殊更被告人に不利益な供述をするところのあることは、容易に想到しえるところであるから、このような場合をも含め、共犯者が自己の責任を他に転嫁しようとするすべての場合について、虚偽の供述を誤って信用することがないよう、慎重な検討を怠ってはならないのである」とされる。至言と言えよう。

本件における山田・武田は従犯として処罰される地位にあり、被告人藤川に責任をなすりつける素地は充分にあったのである。

この共犯者の供述の一般的危険性を覆するような迫真性や臨場感のある供述が全くない本件において、両名の供述を信用性ありと判断することは、経験則に違背し、ひいては憲法三一条三八条に違反すると言える。

二 被告人藤川に関する公訴事実について

(一) 取得金額の疑問点

被告人は、起訴前の取調べにおいて、公訴事実を認めているけども、捜査官の提示した帳簿等に基づくものであり、事実に反している。

被告人は、被告人自身の収入に関して全く帳簿を作成していない。もともと被告人は、自己が企画して金融による利益を得ようと考えていたものではない。

被告人が金融業を営むに至った経緯は以下のとおりである。

被告人は、岡山県信用組合倉敷支店に多額の預金をなしていた。前記信用組合林支店長及び借主の切なる要望により、昭和五〇年頃より金融をはじめた。借主の数は少なく、商業帳簿を作成しなくても容易に借主名・利率・支払日等を記憶することができた。

被告人は、昭和五三年三月一日、岡山県知事に対して貸金業の届出をなした。しかし、営業形態は従前と変わりなかった。被告人の取引先は、昭和五六年度ないし昭和五八年度において一〇〇〇万円以上の貸付先は、株式会社真水・株式会社中田工務店の二社であり、一〇〇万円以上の貸付先は平田実・株式会社守蔵の二件、一〇〇万円以下の貸付先は七件である。小規模であり、帳簿なしで把握することができた。

もっとも、被告人が事業の内容を記憶することができるのは長くて一年間であり、数年以前のことを思い出すことは不可能である。これは、植松正「供述の心理」に三〇年も前から記載されている年齢による記憶力の衰えにも対応するものである。

公訴事実における利息収入は、主として貸借者の貸金の商業帳簿より割出された。それに対応する捜査段階(大蔵事務官及び検察官に対するもの)の自白があることから、原判決は、脱税額を認定した。

しかし、一〇〇〇万円以上の貸付先はいずれも倒産しているものである。倒産した者は、粉飾決算等を行っているのは常であり(倒産処理を一度でもやったことのある弁護士であれば、その帳簿がいかに信頼できないかは身にしみているものである)、帳簿の正確性に疑念の残る余地がある。

そして、それに対応する被告人の供述は、被告人が所得税法違反の事実を一部について認めたこと、及び被告人において帳簿メモ等反論するに足りる資料が全くなかったことによるものである。

検察官・大蔵事務官が所得税法違反と認定した事実を前面的に認めることは事実に反するものである。

この主張に対して、原審は「しかし、被告人藤川の融資先の帳簿がずさんであるとする根拠はなく、その他被告人藤川の右の自白の信用性に疑問を生ぜしめる特段の理由はない」と言う。

また、逋脱事件においては、自白を証拠として重視するのは過失犯における自白と同様危険である。

司法研修所編「税法違反事件の処理に関する実務上の諸問題」(平成二年)六四頁以下では、通常の事件ではもっとも証拠力の高い公判廷における自白について、以下の記述がある。

「1 いわゆる罪状認否における被告人の陳述

一般刑事事件において、被告人がいわゆる罪状認否で公訴事実を認めた場合、それは証明力の高いものとして扱われる。なぜなら、自由な陳述を保障された場で自己の意思により述べたものと思われる上、右認否の対象となる事実も一般に過失の具体的事実であるから、これを認める被告人の陳述は、最もよくその事実を知るものの陳述として重要な証拠となり得る。しかし、税法違反事件においては、公訴事実の中核が過去の事実そのものでなく、かなり技術的な計算過程を経て確定された逋脱所得金額にあるから、これを認める被告人の陳述は、一般にその具体的内容を充分に理解しないまま述べているものと考えるべきである。そうすると、個々の勘定科目の金額を証拠によって認定することなく、右の陳述を重要な証拠として、直接逋脱所得金額を認定するようなことは許されないことになる。(東京高判昭四一・三・一 高刑集一九-二-一〇八)」

原審は、この危険性を看過し、被告人の検面調書等に全面的に頼った認定をしたわけである。

これに有罪判決を下さないと、帳簿の原記録まで読まなくならねばならなくなり、大変だから有罪判決を書いたのではないか、と考えるのは下衆の勘繰りであろうか。

三 原審判決には、刑法三八条一項の解釈の誤りがある。

被告人及び株式会社藤商には、故意がなかった。

(一) 被告人の故意について

被告人は、林岡山信用組合支店長の紹介により融資をしていた。前記組合の融資では経営が順調に運営できないような不安定な企業が被告人の融資先である。被告人はそんな企業に金を貸すのであるから、元本の回収に危惧を抱いていた。現に昭和五六年末には、中桐正樹に対する金一〇〇〇万円の貸金、昭和五七年末には井上晴道に対する金一〇〇〇万円の貸金を貸倒損失金として債権放棄している。

また、一〇〇〇万円以上の金額を貸した株式会社真水、株式会社中田工務店はいずれも倒産し、元本回収に困難を生じている。

健全な企業への融資については、貸金の元本は原則として回収され利息は利益金として処理される。

しかしながら、元本の返還が不安定であり、かつ一〇件程の借主しか数えない小企業の被告人にとっては、元本金額を回収して後、利益を生じると考えても奇異な感じを与えない。

被告人は利息金を受領し、その合計額が元本を越えて後、利益を生ずると考えていたのであり、納税義務の認識がなかったものである。

この主張に対して原審判決は、貸金に対する利息収入がそれ自体所得になることは税法上当然なこととされているばかりか、社会常識からいってもあたり前のことであり、被告人が同人の供述のように思っていたとは到底考えられないとしている。

しかし、当時の租税における通達等を考慮した場合、被告人がそのような思いを抱くのはむしろ当然であることを前提としているのである。

例えば、商法三四条三号は、会計帳簿に記載すべき財産の評価に関し、「金銭債権についてはその債権金額より取立つること能わざる見込額を控除したる額を超ゆるを得ず」と規定して、金銭債権についてその取立不能見込額を控除することとし、評価損を認めている。

以上を考えてみた場合、租税について特殊の知識のない一般人が、むしろ被告人のように考慮することが自然であることが明らかであろう。

株式会社及び有限会社においても、同法二八五条の四第二項に同趣旨の規定がある。そのため税務上においても、売掛金、貸付金その他の金銭債権の全部または一部について貸倒れより取立不能になったとの貸倒損失の主張はきわめて多くなされているのである。それは逋脱所得の金額及び故意の有無に影響を与える。

そこで、以下の税務会計上金銭債権の評価に関する税法の態度を概説する。

四 貸倒損失に関する税法の規定

(一) 金銭債権評価の原則

税法は、金銭債権についての評価損は、原則としてこれを認めない。すなわち、法人税法三三条二項は、「内国法人資産(現金・貯金・貸付金・売掛金その他の債権を除く)」につき災害による著しい損傷その他の政令で定める事実が生じたことにより、当該資産の価額がその帳簿価額を下げることとなった場合」に評価損を認めているが、金銭債権については、一般にその評価損の経常を認めていない。所得税法五一条二項も、「居住者の営む不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき事業について、その事業の遂行上生じた売掛金・貸付金・前渡金その他それに準ずる債権の貸倒れその他政令で定める事由により生じた損失金額」のみを必要経費に算入することが認められるにすぎない。

税法が、このような態度をとっているのは、債権は対人的なものであり、通常の場合、債権の一部の評価減ということは、実際に貸倒れとなり、又は債権免除を行うまでは実現化してこないという考え方になっているからである。従って、直接に個々の債権の評価を行うことは適当でなく、その評価損益は、税務計算上、損金の額にも益金の額にも算入されない。

(二) 貸倒れによる損失

しかし、税法上においても、前記のように、所得税法五一条二項は「売掛金・貸付金・前渡金その他これらに準ずる債権の貸倒れにより生じた損失の金額は、その損失の生じた日の属する年度の不動産所得の金額、事業所得の金額または山林所得の金額の計算上、必要経費に算入する」と規定し、法人税基本通達九-六-一は、「法人の有する売掛金・貸付金その他の債権(以下「貸金等」と言う)について、次に掲げる事実が発生した場合には、その貸金等の額のうち、次に掲げる金額はその事実の発生した日の属する事業年度において貸倒れとして損金の額に算入する」と規定して、貸倒損失を必要経費や損金に算入することを認めている。ところで、貸金等が「貸倒れ」になったかどうかの判定は、債務者が弁済能力を喪失するなどして貸金等の回収が不能となったかどうかを、個別的・具体的実情に即して判断しなければならない極めて困難な事実認定の問題である。

そこで、法人税・所得税の基本通達は、次のように判断の基準を示しているが、それは刑事手続における事実認定においても参考とされるべきものである。

(1) 貸金等の切捨てをした場合の貸倒れ

貸金等について、次にあげる事実が発生した場合には、その貸金等のうち、次にあげる金額は貸倒れとなる(法人基達九-六-一、所基達五一-一一)。

<1> 会社更正法の規定による更正計画の認可の決定があった場合、その決定により切捨てられることとなった部分の金額

<2> 商法の規定による特別清算にかかる協定の認可若しくは整理計画の決定又は和議法の規定による和議(強制和議を含む)の決定があった場合。これらの決定により切捨てられることとなった部分の金額

<3> 法令の規定による整理手続にない関係者の協議決定で、次にあげるものにより切捨てられた場合。その切捨てられることとなった部分の金額

(a) 債権者集会の協議決定で合理的な基準により債務者の負債整理を定めている

(b) 金融機関等の斡旋による当事者間の協議により締結された契約で、その内容が(a)に準ずるもの

<4> 債務者の債務超過の状態が相当期間継続し、その貸付金の弁済をうけることができないと認められる場合において、その債務者に対し債務免除額を書面により通知した場合。その通知した債務免除額

以上は、貸金等が法律的にも消滅する場合であっても、経理処理の如何にかかわらず、損金の額又は必要経費に算入する。

(2) 貸金等の回収不能による貸倒れ

貸金等につき、その債務者の資産状況・支払能力等からみて、その全額が回収できないことが明らかになった場合には、その債務者に対して有する貸金等の全額について貸倒れになったものとし、所得税の場合は、当該貸金等に係る事実の所得の金額の計算上必要経費に算入する(所基達五一-一二)。法人税の場合は、法人が貸倒れとして損金経理したときは、これを認める(法人基達九-六-二)。

この場合は、債権は法律的には消滅していないけれども、税務上は貸倒損失として債権の償却ができることになっている。

法人税の場合は、所得税の場合と異なり、自ら貸倒れ損失として損金経理したときのみ損金に算入されるが、これは法人経理の正確性を前提として取扱上の区別をしたものと認められるから、刑事手続においては、実情によっては所得税の場合と別異に取扱うことが困難なことは充分すぎるほど予想される。

(3) 一定期間取引停止後弁済がない場合の貸倒れ

債務者について、次の<1>・<2>としてあげる事実が発生した場合にはその債務者に対して有する売掛金等(売掛金その他これに準ずる債権で貸倒引当金の対象となるものをいう)の額から備忘価額を控除した残金を貸倒れになったものとして、所得税の場合は、当該売掛金等に係わる事業の所得の金額の計算上必要経費に算入することができる(所基達五一-一三)。法人税の場合は、法人が貸倒れとして損金経理をしたときは、これを認める(法人基達九-六-三)。

<1> 債務者との取引を停止した時(最後の弁済期又は最後の弁済の時が該当停止をした時以降である場合には、これらのうち最も遅い時)以後一年以上経過した場合(当該売掛金等について担保物のある場合を除く)。

<2> 同一地域の債務者について有する売掛金等の総額がその取立のために要する旅費その他の費用に満たない場合において、当該債務者に対し支払を督促したにもかかわらず弁済がないこと。

(三) 債権償却特別勘定

税務会計上貸倒れの認定は、極めて厳格なものとされており、特にいわゆる回収不能の判定には疑義が生ずる場合も多いため、貸倒れの認定に関する問題を事前に、かつ弾力的に解決する措置として、厳格な意味での「貸倒れの発生」というまでに至らないが、一定の要件に該当する貸金等については、税務署長の事前認定による「債権償却特別勘定」の制度が設けられている。

(1) 債権償却特別勘定の設定

債権者について、次の<1>にあげる事実が発生し、その債務者に対して有する次の<2>に定める貸金等の額の相当部分について回収の見込みがないと認められる場合において、回収の見込みがない金額としてあらかじめ税務署長(国税局調査課所管の個人又は法人にあっては、国税局長)の認定を受けたときは、その認定を受けた年又は事業年度においては債権償却特別勘定に繰入れ、その繰入れた金額に相当する金額を必要経費又は損金に算入することができる(所基達五一-一八、法人基達九-六-四)。

<1> 債権償却特別勘定の対象となる事実

(a) 債務者につき、債務超過の状態が相当期間継続し、事業好転の見通しがないこと

(b) 債務者が天災事故、経済事情の急変等により多大な損失を被ったこと

(c) 債務者につき、(a)又は(b)の状態が生じたこと

<2> 債権者償却特別勘定の対象となる貸金等の額

その債務者に対して有する貸金等の額から次の額を控除した金額である。

(a) その債務者から受入れた金額があるため実質的に貸金等とみられない金額

(b) 質権・抵当権等によって担保されている部分の金額

(c) 債務者から他の第三者の振出した手形(債務者の振出した手形で他の第三者の引受けたものを含む)を受取っている場合の手形金額に相当する金額

(2) 形式基準による債権償却特別勘定の設定

債務者について、次にあげる事実が発生した場合には、期末においてその債務者に対して有する貸金等の額のうち、その事実が発生した日に有していた金額の五〇%に相当する金額以内の金額を債権償却特別勘定に繰入れることができる(所基達五一-一九、法人基達九-六-五)。

<1> 商法の規定による会社の整理開始の命令又は特別清算の開始命令があったこと

<2> 破産法の規定による破産の宣言があったこと

<3> 和議法の規定による和議の開始決定があったこと

<4> 会社更生法の規定による更生手続の開始決定があったこと

<5> 手形交換所(手形交換所のない地域にあっては、当該地域において手形交換業務を行う銀行団を含む)において取引の停止処分をうけたこと

以上のような複雑な規制をあてはめてはじめて貸倒れが認定しうるのである。

これが社会常識と考えるのはいったいどういうことであろうか。

五 次に被告人会社・被告人に錯誤が認められたとして、不正行為あるいは所得の発生についての錯誤が、犯罪成立にいかなる影響を及ぼすかを検討する。

これは、規範的構成要件事実の錯誤の問題である。

現在、司法試験受験生にもっとも使われている、権威ある教科書である、前田雅英「刑法総論講義」昭和六三年有斐閣三一三頁以下には以下の記載がある。

「(4) 規範的構成要件要素

記述的構成要件要素 罪刑法定主義の観点からは、なるべく条文は客観的に明確な方が好ましい。しかし、我国の刑罰規定に定められた犯罪類型には、記述的要素(例えば一九六条の「人」や「殺す」)だけではなく、裁判官の評価・価値的判断による補充を必要とする規範的構成要件要素も含まれている。

さらに、記述的とされるものも、法文上の概念はなんらかの意味での評価が必須で、すべて規範的とも言える。記述的構成要件要素と規範的構成要件は程度の差でしかないといってもよい。

規範的構成要件要素の錯誤 規範的構成要件要素の代表的なものとして、イ 窃盗罪などの客体である財物の「他人性」、公務員の職務の「要保護性」の法的概念(非刑事罰法規)、ロ 猥褻等の価値的概念、ハ 危険犯における「危険性」等の事実的評価の難しい概念がある。

そして、それらの要素に関しては、行為者は専門家的な認識までは必要なく「素人的な認識」で足りるとされている。

構成要件要素の錯誤 犯罪事実を認識するという場合には、様々な段階が考えられる。例えば、殺人罪行為の場合、(1)ピストルを胸に撃ち込むことの認識(裸の事実の認識)、(2)それが「殺すこと」を意味することの認識(社会的・規範的意味の認識)、さらに(3)殺すことが悪いことであることの認識(違法性の認識)、(4)刑法一九九条に該当することの認識(具体的条文の認識)である。記述的構成要件要素の場合には(1)・(2)・(3)が不可欠に結びつく、形式的・裸の事実の認識表象があれば、一般人が違法性の意識を持ちうるのである。

(1) 生(裸)の事実の認識

(2) 社会的・規範的意味の認識

(3) 違法性の認識

(4) 具体的条文の認識

規範的構成要件要素の特色は、外枠が曖昧で(1)と(2)が乖離する点である。例えば、猥褻物頒布罪の場合、(1)裸の事実の認識としては、問題となる文章の認識、(2)社会的・規範的意味の認識としては猥褻性の認識、(3)違法性の認識として、違法な猥褻文書であることの認識、そして(4)具体的条文の認識として、刑法一七五条に該当することの認識が対応するといえよう。そして、当該文章を認識しても猥褻と評価するか否かが人によりかなり異なり得る点が規範的構成要件要素の特色である。

(弁護人注 故意の対象かこの点の意識がかつてのチャタレー事件判決以来、日本の実務では曖昧であった。意識的に無視していたふしも見受けられる。

規範的構成要件要素というもの自体を認めず、「構成要件に該当する具体的事実の認識をもって足り、法令の不知は犯罪事実条淡の認識の欠如、すなわち事実の錯誤となるものではない」という見解に固執していたのが、以下の述べる法律の錯誤として判決群あるいは臼井検事の「構成要件に該当する規範的事実の錯誤は事実の錯誤であり、当該事件に対する刑法的評価の規範である法規ないし評価それ自体についての錯誤は法律の錯誤である」(臼井「脱税の犯意と法律の錯誤刑法判例研究Ⅲ一五五頁)の見解である。

しかし、規範的構成要件要素の存在を主張されるようになった刑法学会では、一般人の平行評価として規範的構成要件要素の認識が必要という点が定説となっている。)

故意の成立に必要な認識

それでは、故意の成立には(1)から(4)のうちどこまでの認識が必要なのであろうか。まず、(1)が必要で、(4)までは不要であることは争えない。一般人を基準とした非難の視点からは、故意の成立のために(2)が必要である。社会的意味を認識した場合には、一般人はその行為が悪い行為であると認識し得るからである。そして、いかなる認識があれば意味の認識があるといえるのかの判断は、結局一般人ならば違法性を意識しうるか否かで判別するしかないのである。これに対して、(3)は必要ではない。たしかに(3)まで存在すれば、非難は充分に可能である。しかし、行為者が「違法でない」と確信しさえすれば故意が欠けるとするのは不合理である。やはり、一般人であれば(3)を持ちえる認識をもっていた以上、故意非難は可能なのである。

つまり、一般人が違法と認識しうる基礎が被告人の認識の中になかったといえるかどうかが問題となるわけである。

本件において、一般人において所得の発生があったといいうるかには疑問があることには既に述べた。

従って、この点については、故意を阻却し、犯罪は成立しないことになるというのが論理的帰結であろう。

福岡高裁(宮崎支部)判昭二五年一二月二五日税資制一三号一七頁は、機帆船運送会社に入金された燃料取扱手数料、運送取扱手数料、会社設立前の運送手数料、前身会社の帳尻残合計一五一二三二円は、その性質自体原判決に説示したとおり、会社に対する株主の出資に類似し、これを会社の益金に計上すべきものと速断することはできないばかりではなく、経理に精通していない被告人において、右収入金を会社に対する株主の出資金であると信じて、これを益金に計上しなかった消息をうかがうことができるから、原審が被告人において脱税の範囲の証明が充分でないとして、無罪の言渡をしたのは相当である」とした。この判例は、上記の錯誤を事実の錯誤としていると思われる。規範的構成要件要素についての錯誤が事実の錯誤になるか、違法性の錯誤になるか、について近時の最高裁判例を参考に述べた注目すべき文献として以下の中山研一博士のものがある。

中山研一「無免許運転罪の故意と錯誤」判例時報一三八一号三頁以下

同四頁以下

最近の最高裁判例が、公衆浴場法上の無許可営業の罪について、営業許可がなされたものと誤信していた場合を事実の錯誤として故意の成立を否定したことに注目しなければならない(最判平成元年七月一八日刑集四三巻七号五二頁)。

この事案では、被告人会社は特殊公衆浴場を営んでおり、被告人は、その代表取締役として経営全体を掌握していたものであるが、被告人会社の業務に関して、知事の許可を受けないで、業として公衆浴場を営んだとして起訴された。被告人は、営業許可申請事項変更届を知事に提出し、受理された旨の連絡を県議から受けていたため、営業許可があったと認識していたと主張した。一・二審判決は、変更届には重大な瑕疵があったので無効であり、違法な営業であるとの認識の可能性もあるとして有罪とした。

弁護人は、被告人には違法性の認識がなかったと抗弁した。

ところで、最高裁第三小法廷は、変更届によって営業許可があったといえるかはさておき、被告人としては、変更届の受理によって営業許可があったものと認識していたと認められ、その認識の下に浴場を経営していたというべきであるから、被告人には無許可営業の故意は認められないとして、無許可営業罪は成立しないとしたのである。

ここで、重要なのは、第一に一・二審理判決のみならず、弁護人もこれを違法性の認識の問題として扱ってきたのに対して、最高裁が一転してこれを無許可営業罪の構成要件的「事実の認識」の問題として処理したと考えられること、第二に、二審判決が本件は、違法性の認識の可能性もある事案であるとしていたことと、つまり違法性の錯誤であるとしても相当の理由がなく無罪とはなりえないと考えていたことである。同じ事実に対して、このように法的な構成と評価が分かれたという点が注目をひいたのである。

では、この最高裁判例は、学説によってどのように評価されたのであろうか。共通の理解は、この判例の特色が故意を自然的事実の認識にとどまらず、意味の認識を含むものとして把握したものである点にあるとし、そのような方向を歓迎し指示するものが多い。例えば、「自然的意味での事実の認識は存在していたものの、それが構成要件事実にあたるという意味の認識を妨げる特異事情が介在しているため、故意の成立に必要な程度に認識があったと判断していない場合」であるとし(香城敏麿「時の判例」ジュリスト九五一号一〇三頁、また、「無許可」は構成要件の純然たる記述的要素ではなく、規範的構成要素であるから、営業許可があったと誤信した場合には、無許可について認識があったといえないとする本判決の見解はきわめて妥当であるとされる(川端博「無許可営業罪における故意と錯誤」法セミ四二四号一二四頁)。

さらに、本判例を契機として、これを事実の錯誤と法律の錯誤の区別という観点から総括した文献は、事実の錯誤として解決する本判決の方向を積極的に評価し、故意を実質的に理解すれば、むしろ「違法性の認識を可能とするような事実の認識」という形で捉えなおすことが必要であると主張するのである(前田雅英「違法性の認識と故意」法セミ四二六号九八頁以下)。

六 行政法規上の禁止事項の錯誤

(一) 私は、かつて、行政法規上の禁止事項に関する錯誤の取扱について事実の錯誤と違法性の錯誤の限界をいかに定めるべきかという問題を検討したことがある(行政法規上の禁止事項に関する錯誤」(ロースクール八号一一頁以下)。行政犯の場合には、法規による禁止によって行為がはじめて違法になるという関係に立つので、むしろ事実が評価を前提とし、さらにその評価も具体的な法令上の禁止を予想せざるをえない。従って、禁止事項の不知や錯誤が違法性の錯誤である前に事実の錯誤ではないかという問題が微妙な形で問われるケースが多数く生起してきているのである。

それは、行政取締法規違反の場合における犯罪事実の認識がどこまでを包含するというべきかという問題であって、それが裸の自然的事実の認識のほかに事実に不着した意味(禁止の社会的意味)の認識をも要するとすれば、規範的構成要件要素の錯誤と共通の問題であるということができる。しかし、行政犯の場合には、社会的意味の認識が法規による禁止あるいは禁止事項への具体的な「あてはめ」としばしば不可分に結合しており、明確な区別をつけ難いという事情がある。

判例による事案解決の若干の例を以下にあげておく。

(1) 禁猟獣であることの認識「たぬき・むじな」事件(大判大一四・六・九刑集四・三七八)と「むささび・もま」事件(大判大一三・四・二五刑集三・三六四)の大審院判例が有名である。判例は、前者を事実の錯誤とし、後者を違法性の錯誤として区別した。その評価については争いがあるが、少なくとも「たぬき・むじな」事件で「むじな」の捕獲とうい裸の事実認識以上に禁猟獣たる「たぬき」へのあてはめが法的事実(意味)の認識として要求された点が重要である。

(2) 禁止飲料であることの認識 最高裁判例は、メチルアルコールが法令で販売の禁止されているメタノールと同一のものであることを知らなかったとしても、単なる法律の不知にすぎず、故意を阻却しないとしたものと(最判昭二三・七・一四刑集二・八八九)、具体的なメタノールであることの認識がなければ故意があるとはいえないとしたもの(最判昭二四・二・二刑集三・二四六)に分かれる。後者は具体的な禁止事項へのあてはめを事実の認識として要求している趣旨とみることができる。

(3) 課税物件であることの認識 最高裁は、物品税法上の無申告製造罪について、課税物件であることの認識がなくても単なる法令の不知であって故意を阻却しないとした原判決を維持した(最判昭三四・二・二七刑集一三・二五〇)。しかし、本件でも、第一審判決は課税物件であることの認識が事実の認識に属するとしていた点に注目しなければならない。

(4) 銃猟禁止区域・追越禁止区域の認識 大審院は、銃猟禁止区域にいることの認識が犯罪の成否に影響を及ぼさないとしていたが(大判大一一・一一・二八刑集一・七〇九)、戦後の高裁判例は、それが明らかに事実の認識に属し、法の不知ではないとしており(東京高判昭三五・五・二四高刑集一三・三三五)、自動車の追越禁止違反についても、追越禁止区域内で追い越しするという認識が必要であるとしている(東京高判例昭三〇・四・一八)。

以上のような判例の動向からすれば、かなりの動揺を伴いながらも単純な法の不知として処理する前に故意犯として処罰するためには、事実に付着した禁止の意味、あるいは「禁止された事実」の認識を要するとして、事実の認識の存否を重視する流れが存在していることを知ることができる。

そして、このような状況の中に、前述した最近の最高裁判例を位置付けてみると、無許可営業罪の故意について、変更届の受理によって営業許可があったと誤信した場合には故意がないとするのは、禁止事項へのあてはめを要求する前述の判例の流れに沿ったもので、その趣旨を直截に認めたものと評価することができる。それは、事実の錯誤としての解決に新しい一歩を進めるものであり、その意義と影響は大きい。

事実の錯誤とした場合の最大の効果は、錯誤したことについての相当性を問うことなく、無条件に故意を阻却しうる点にあり、違法性の錯誤とした場合にはさらに錯誤の相当性が問われ、軽率な錯誤は故意または責任を阻却しないとされる余地が残されているのと異なるのである。

同九頁 両者のケースを比較した場合に、最高裁のケースでは被告人の誤信にかなりの根拠があったのではないかとも考えられるが、実際にはこのケースでも第一審判決は変更届の無効性を認識していたと認定し、控訴審判決でも無許可・違法な営業であることの認識可能性もあったとしていたのであり、必ずしも錯誤に相当な理由があると判断しうる事案ではなかったことに注意しなければならない。しかも、本件では、所得額(非刑罰法規)の錯誤という側面も存在する。

第二の問題は、被告人の錯誤が事実の錯誤とはいえず、違法性の錯誤にすぎないとした場合の効果である。

違法性の不知又は錯誤について相当な理由がある場合には故意又は責任を阻却されるという構成をとる場合でも、その「相当の理由」判断は形式的・一律的ではなく、各事案ごとに個別・具体的に検討されなければならない。それが一定の幅をもった実質的判断であることは先の最高裁判例の場合においても、控訴審判決では無許可・違法な営業であることの認識の可能性があったとして錯誤の相当性が否定されていたと思われるのに対して、最高裁判例の表癪としては、「自らの行為が許されていると信じても止むを得なかった事案だとも考えられる(前田・前掲論文九九頁)という肯定的な評価がなされている点からもうかがい知れることができる。

参考になる判例として名古屋高判金沢支部昭和三五年三月一七日税資二八号三六五頁下級刑集二巻三=四号三二四頁がある。

これは、未だ支払不能に陥ったと認められない程度の回収困難な売買債権につき、確定した欠損であると思い、所得皆無と誤解して所得税確定申告をしなかった事案につき、売掛代金を欠損計上するのは早計であるとのそしりを免れないとしながらも、

「案ずるに、原審並びに当審証拠の全結果を総合すれば、<1>前掲各債務者等は、いずれも昭和二五年度中に営業を停止し、殆ど破産に近い状態に至ったものであること、<2>代金回収の困難性が当時より相当程度に予見されたこと、<3>その後今日に至るも該債権中のその一部の弁済を受けたものすらなく、現在、まったく、回収不能の状態にあること<4>被告人は、税法上の知識に乏しく、いわゆる「欠損」を認定する標準について、明確な認識を持っていなかったことを看取しうべく、以上の事実よりこれを観れば、被告人は所得があることをしりながら税金を逋脱する意図の下に、故意に申告を懈怠したものと言うよりは、むしろ税理事務に不案内であった結果、回収困難の売掛代金を、同年度内に確定した「欠損」であると思惟し、同年度の所得として申告すべきものがないと誤解した結果、所得の申告をなさなかったに外ならないと認めるのを相当する」とした。

客観的に回収不能な状態に至っていない売掛債権であったが、その客観的事実を正しく認識していたとすれば、貸倒損失とすべき基準についての法的評価を誤ったにすぎない法律の錯誤として故意を阻却しないことになるが(本件一審判決)、その客観的事実そのものを誤認して回収不能な状態になっていた旨誤信したとすれば、事実の錯誤になろう。

ところが、およそ所得を隠す意図が少しでもある限り、所得全体の逋脱額について故意が成立するという乱暴と思われる見解がある。

逋脱犯における故意について、かなり概括的なものを認めるものとしては、司法研修所編「税法違反事件の処理に関する実務上の諸問題」七七頁以下には逋脱犯における故意について以下の記述がある。

「二 故意

逋脱犯が成立するためには、納税義務の認識、偽りその他の不正の行為及び租税を免れること(逋脱の結果)等の認識が必要である。

(1) 板倉宏「租税刑法の基本問題」一三〇頁以下、同「租税犯における故意(上)――租税刑法を巡る諸問題(5)」判例タイムズ一九一号一三頁以下、堀田力「租税逋脱犯をめぐる諸問題」(以下「諸問題」という)(四)法曹時報二二巻一一号七三頁以下

1 納税義務の認識

所得税又は法人税の逋脱犯が租税を免れる犯罪であることから、納税義務の存在が前提となり、その認識が必要となる。右認識は所得が存在するという事実を認識することであるが、右認識については後に再述する。

2 不正行為の認識

不正行為とは逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収の不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうが(1)、不正行為にあたる事実を認識すれば足り、右事実が不正行為に当たるとまで認識することは必要でない(2)。

(1) 最大判昭和四二・一一・八刑集二一・一一九七頁

(2) 東京高判昭和二六・一・九税資刑四・二四六

3 逋脱の結果の認識

租税を免れる結果となることの認識であり、未必的認識で足りる(1)。なお、租税は所得に対し課されるものであるから、租税を免れる結果となることの認識は、所得が存在するのにそれを秘し、その所得に対応する税額を免れる結果となることの認識である。

(1) 児島「司法研究」一〇六頁以下

(二) 故意の有無についての個別的認識説

(1) その内容

所得に対する認識があるとするためには、当該所得を形成すべき各個の収益及び損費等の会計事実の個別的認識に加え、益金性の認識、非損金性の認識及び収益、損金等の帰属に関する認識も必要とすると言うものである(1)。

(1) 河村澄夫「税法違反事件の研究」司法研究報告書四集八号(以下河村「司法研究」という)四五頁以下

(2) 裁判例

ア 東京地判昭和三七年六月三〇日税資刑一四巻九八頁

要旨

検察官は、確定申告書記載の所得額、税額を正当の所得額、税額に比し過少に記載申告し、その増差額につき法人税を免れるとの概括的な認識をもつ限り、終局的計算において確定された正当額と過少申告額との増差全額について犯意があり、犯罪が成立するものと解すべきであって、増差所得の形成原因であることの科目すべてにつき個々的に逋脱の認識をもつことまでは必要としないなどと主張するが、破棄差戻しされる前の第一審判決がこれらの各勘定科目に逐一犯意の有無を検討したうえ、第一審判決には審理不尽ないしは事実誤認の疑いありとしていることは、結局個々の勘定科目につき逋脱の認識を必要とするとの見解にたつものと解せられるので、当審においてもこの見解に従うべきものであると考える。

その他、イ 東京地判昭和三七年六月二九日税資刑一四号六〇頁、ウ 東京地判昭和五五年六月一二日税資刑五三巻五三一号

(三) 故意の有無についての概括的認識説

(1) その内容

概括的認識の意味が必ずしも一定していないのであるが、児島「司法研究」一〇八頁以下では、「概括認識説は、所得及び税に対する故意の成立のためには、何がしの所得及び税が存することの認識(いわゆる概括認識)をもって足り、個々の収益、損費の個別認識は故意の要件でないという。」としたうえ、この説を正当とし、河村・司法研究五八頁以下では、「所得税及び法人税の納税義務の基礎となるべき所得は、特定の年又は事業年度内に発生する多数の-何千の、時には何万という数に上がる-収益及び損費が総合されたものである。従って、それらの収益及び損費の存在に対して-ひいてはそれらの益金性又は非損費性並びにその帰属時期に対しても-認識を有していたかどうかを一々検討することは、実際上不可能である。―略―、その収益及び損費がある個人又は法人に属する経済活動の通常の過程において生ずるものであるならば、その経済活動に対する認識において欠くるところがない以上、それより生ずる収益及び損費のすべてについて概括的な認識(いわゆる概括的故意)を有するものと解すべきであるからである。従って、当該経済活動から生ずる個々の収益損費についてその存在及び金額を一々認識して居らなくても犯罪事実の認識に欠くるところありとなし得ない」としている。

ところで、所得税又は法人税の逋脱犯は、「租税を免れること」構成要件としているので、右の故意の内容は免れる税が存在するという認識であるが、租税は所得金額に税率を乗じて計算されるものであるから、それは申告所得金額を超える実際所得金額の認識ということになる。そして、所得金額について、所得税法では同法二三条以下に、法人税法では同法二二条以下に規定がある。これらは、いずれも所得の計算方法を定めたものであるが(1)、それらによると、所得金額は収益(益金)から必要経費(損金)を差し引いたものとなる。そうすると、所得金額は右にのべたように差引概念であると考えられるから、結局、それ自体を認識するのではなく、その算出の基礎となる右収入右個々の取引事実を生活に把握していることは通常不可能なことであるから、そのことを前提とし、右個々の取引事実が行為者の経済活動の通常の過程において生じたものであれば、その経済活動を認識している以上、発生した所得の認識に欠けることはないとする右河村・司法研究で述べる説が相当と思われる(2)(以下、この説を概括的認識説という)。

(1) 藤井誠一「課税所得の概念―法人所得概念を中心として―」判例研究日本税法大系2租税実体法Ⅰ三頁以下

(2) 堀田・諸問題(四)法曹時報二二巻一一号七三頁

(2) 裁判例

ア 大阪高判昭和五二年七月一二日税資刑四〇号八七七頁

要旨

虚偽申告による逋脱犯が成立するためには、申告にかかる所得額が事実の所得額より少ないことの認識を有することが必要であるが、個々の損益につきその存在及び金額を一々認識しなくても、さらに所得の総額につきその正確な額を知らなくても、逋脱の故意の存在を肯定する妨げにならない。

イ 大阪地判昭和五九年・三・二六、税資刑五四・一五〇〇

要旨

本件におけるように、逋脱に関する勘定科目・取引内容等が多岐にわたり、しかも正当な帳簿類の備えつけ不十分で、被告人自身においても正確な所得を必ずしも把握できないような場合であっては、被告人会社の代表者である被告人において、申告所得が実際所得との差額全部について、その差額がどの勘定科目からどれだけの額が脱漏されたことによって構成されているのかというようなことまで認識を必要とするものではなく、各事業年度の収益費用の発生の基礎となる社会の事業活動の存在内容を総体として認識把握し、その上で、法人税を免れようとの意図のもとに確定申告に際し不正な行為を行って正当な税額よりも過少な税額を申告したとの認識さえあれば、逋脱に係る所得全体につき犯意があったものとして、その責任を問うことができるものというべきである。

右両説の検討として、同書八二頁以下では、

「右の意味における概括的認識は、事実の必要性から右個別的認識の内容を緩和したものということができる。そして、不可能を強いる右個別的認識説は採ることができず、右概括的認識説が相当である。なお、右個別的認識説が必要とする益金性及び非損金性並びに収益、損費の帰属に対する認識は、故意認定の前提となる具体的事実に対する認識ではなく、評価の認識であるから不要と解すべきである」

としている。

この概括的故意がどうも規範的構成要件が含まれる犯罪なのに、記述的構成要件要素の認識があればよい、とする趣旨であれば、それは疑問である。

以下、判例を分析しておく。

(a) 租税刑事事件において、錯誤により故意を阻却するとした判例は以下のものがある。

イ 長年現金主義の記帳処理をしてきていたため、費用収益対応の原則に反して未収請負工事代金を益金計上しなかったのに、その請負工事に要した費用を損金に計上した事例(横浜地判昭二五・五・四税資刑二四・九七)

ロ 取扱手数料等を会社に対する株主の出資金に類似する金と誤信して別途預金し本勘定の益金に計上しなかった事例(福岡高判(宮崎支部)昭二五・一二・二五税資刑一三・一七)。

ハ 商品仕入先に対する債権相当額を免除したことが営業上の損失であると誤信して損金経理した事例(大阪高判昭二六・四・二八税資刑一八・一三〇)

ニ 回収困難な売掛代金債権を確定した欠損であると誤信したため所得が皆無として申告しなかった事例(本件類似の事例である、名古屋高判金沢支部昭三五・三・一七税資刑二八・三六五、下級刑集二・三=四・三二四)。

ホ 役員賞与を従来の慣例から勤労報酬として損金計上できると誤信した事例(東京地判昭三四・三・二六税資刑二七・三七八・徳島地判昭二四・一〇・三一税資刑六・一九三)。

ヘ 役員賞与・事業税加算金・債権償却引当損・価格変動準備金引当損・貸倒準備金引当損などについて税法上損金計上でないことを知らなかった事例(東京地判昭三五・五・三〇税資刑三一・一六六)。

ト 諸税公課否認、未経過利息保険料否認、原価償却費超過額否認等による金額が税務行政上の否認金であることを知らなかった事例(東京高判昭三五・七・二九税資刑三一・二五〇)。

チ 罰科金、役員賞与が税法上損金性を否認されることを知らずに損金計上した事例(静岡地判昭三九・八・一一税資刑四三・二一七)。

リ 被告人の事業資金である喫茶店の火災焼失による損失額の算定及び損金額について、本来「準損失」にあたるべきものを雑損金として計上したものについて、簿価の算定に関係なく、被告人の認識に着目して被告人は昭和四四年分確定申告時において、税法上「準損失」と「雑損失」の区別があることやその算出方法が異なることの知識を全く欠いたまま、申告事務担当者から損失額は三三五〇万円と算出される旨告げられ、それが従前被告人の支出した記憶とも一致していたことからそのまま申告した事案について、錯誤による故意の阻却を認めた(東京地判昭五五年一一・一〇刑月一二・一一・一一九六、判時九九一・一二二、なお、これは、判例時報の判例解説では、個別認識説にたつものと解されている)。

右の各事例は、それぞれの錯誤に基づく損金計上、益金不計上がいずれも納税義務の認識を欠き逋脱の故意が成立しないとした。

法律の錯誤にあたるとしたものには以下の事例がある。

ヌ 廃品処理による所得を課税対象外と誤信したもの(大阪地判昭二六・四・四税資刑一四・一〇二)。

ル 利益を繰り越して同年度に申告納税してもよいと信じていた事例(福岡地判昭二六・五・二税資刑一七・四三四)。

ヲ 特別経理会社が、機密費捻出のため設けた別口勘定資産を新旧勘定併合の時まで未清算として繰延べてもよいものと考えていた事例(大阪高裁昭二八・七・三〇税資刑一七・四三四)。

ワ 交際費の性質、その損金算入限度額超過を知らなかったという事例(東京地判昭三六・一二・二二税資刑三二・四七五)。

カ 回収困難な売掛債権を誤って債権償却引当損に計上した事例(東京地判昭四〇・四・二税資刑五四・六九四)。

ヨ 妻名義の配当所得を世帯主(被告人)の所得に加算申告するべきことを知らなかった事例(東京高判昭四〇・四・二六税資刑四六・四九〇)。

タ 既に寄付金の限度額が超過していた場合に、寄付金たる性質を有する実母に対する小遣金を交際費に計上できると誤信した事例(東京高判昭四一・六・八税資刑五四・六八〇)。

レ 課税要件を充たされない有価証券売却損を損金計上できると誤信した事例(東京地判昭四三・一〇・一二税資刑五五・五七八)。

しかし、規範的構成要件の錯誤について、二〇年おくれで最高裁が学会をフォローした現在においては過去の議論というべきであろう。

なお、例え、法律の錯誤の場合でも、相当な錯誤と言えるのは、裁判官・調査官が本件のような回収見込みのない債務についてどのような税法上扱うべきか、人に聞かなければならないことからも明らかであろう。

さらに、相当性がないと判断される場合でも、本件錯誤が法律の錯誤にあるとしても、事実の錯誤か法律の錯誤かが、それが大部分の場合に微妙な程度の判断に帰着するとすれば、たとえ相当な理由があるとはいえないとして、結論的に故意犯の成立が避けられないとされる場合でも、それは責任の程度に影響し、それが可罰的な程度に達しなければ結局犯罪は成立せず(故意責任は残るが処罰に値する責任がない)ということになる。

第四 原判決には、刑事訴訟法三一二条・憲法三一条三八条の解釈適用に誤りがある法令違反・憲法違反がある。

2 原判決は、現実の支出と一致しない領収証がある出費は架空に計上された経費であると認定し、経費として収入から控除することを認めていないが、被告人会社は、地域住民の同意を得るために必要な経費・領収証の取れない業者への支払いなどについて、他の業者の領収証を使用したのであって、いずれも右の領収証に相当する金額の支出を実際にしていて、被告人には不正行為の認識がない(主張2とする)

四 右2の主張については、(2)の場合の主張と同様、関係各証拠をあげて、以下の事実を認定した。

被告人会社の出費の中には、土地を買い入れるときに土地に税金を取られない裏金として渡す金など領収証をとることができないものもあり、原判決認定の所得秘匿工作とされる造成費その他の経費の架空計上の中には、右のような領収証をとれない出費について内容虚偽の領収証を充当したものも膨れていることがうかがえないではない(この点の認識は正しいものである、ここでどちらにしろ、本件構成要件にあたるとしているのは、択一的認定をしているのであり、被告人の防御権の点から問題がある。後述する)。

しかし、そのようなものでも、被告人会社の帳簿に記載された経費が架空虚偽の内容のものであることには、被告人会社の帳簿に記載された経費が架空虚偽の内容のものであることには変わりがなく、法人税の申告にあたり裏付けがなく経費として計上できない出費は、経費として認めることはできないのであるから、右のような出費に内容虚偽の領収証を充当して計上したような場合も、架空経費の計上による所得秘匿工作に当たると考えられ、右のような出費に内容虚偽の領収証を充当したことに認識している以上、被告人藤川の不正行為の認識にも欠けるところがないと認められる。

この点については、錯誤があったことを認める趣旨なのかどうか曖昧である。起訴状及び冒頭陳述書と異なる訴因を認めた趣旨とすれば被告人の防御権を害するものであり、刑事訴訟法三一二条・憲法三一条三八条に違反するものである。

以上、原審は妥当でなく、賢明なる最高裁の破棄自判無罪を確信する次第である。

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